大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和61年(合わ)258号 判決 1988年3月18日

主文

被告人を無期懲役に処する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(被告人の経歴及び犯行に至る経緯)

被告人は、昭和三一年一二月、東京都杉並区において、建築業を営む父A(大正六年九月一六日生。)母B子の二男として出生し、地元の小学校を経て、昭和四四年四月、日本大学第二中学校へ進学したが、その間、Aが右建築業等の業績を上げ、昭和三三年には有限会社甲野建築を設立し、昭和四三年には株式会社甲野建築(以下、「甲野建築」という。)に組織変更するとともに、五階建共同住宅を所有するまでに至ったものの、他方で、母B子が被告人らに暴力を振ったり、家事等を疎かにしたことやAが昭和四一年ころまでにC子(大正一〇年一〇月三一日生。)と情交関係を持つに至ったことなどから、父母の仲が悪くなり、ついに、昭和四五年五月ころ、同区下井草《番地省略》に三階建共同住宅(以下、「乙山ビル」という。)を新築すると同時に、Aが母B子や兄Dと別居して、被告人とともに乙山ビルの現住居に転居し、C子と同棲し始めたことから、以後、A及びC子によって育てられたが、母B子に対する愛情は比較的薄かったせいもあって、やがて、自分の養育に親身になってくれるC子を「お袋」と呼んで慕うようになった。

被告人は、中学生の頃、Aから「友人は、会社に役立つ人間を選べ。」などと言われたりしたため、次第に親しい友人がいなくなる一方、兄Dが昭和四六年二月に交通事故で死亡したため、Aらから甲野建築の後継者として期待されるようになり、同中学校卒業後、同大学第二高等学校を経て、同大学短期大学部工科一部建設科(建築専攻)へ進学したものの、昭和五二年一月ころからは、Aから勧められるがまま、甲野建築に入社し、同人のもとで働き始め、同年一〇月には学業不振のため同大学を退学した。

被告人は、当初、見習い及び雑用等の仕事に従事した後、昭和五五年ころからは、建築の設計や資材の手配等の仕事にも携わるようになったものの、Aが昔ながらのがんこな職人気質で、ほとんど独断で仕事の段取り等の一切をとりしきるため、その言うがままに働かざるをえず、自己の意見を具申しても聞き入れてくれないばかりか、理不尽と思われる理由で一方的に言いがかりをつけられて叱りつけられたりしたことなどから、ときにはこれに不満を抱くこともあったものの、おおむね、Aの性格を理解して、その指示に従順に従いつつ、本件犯行時まで、平穏無事にその仕事を継続して行っていた。

他方、被告人は、昭和五八年六月ころ、C子の知人の紹介により、当時化粧品会社の派遺店員をしていたE子(昭和三四年四月一八日生。)と見合いをして同女を一目で気に入り、同女も他の男性と情交関係を継続していたものの、被告人との結婚に踏み切ったことから、昭和五九年二月二七日に同女と結婚式をあげ、九州各地を新婚旅行した後、乙山ビルのA方で同人やC子とともにE子と暮らし始めた。そして、同年三月二八日ころ、同女から、同女が妊娠し、同年一一月中旬がその出産予定日である旨知らされたが、被告人は、新婚旅行中もその後もしばらくの間は、飲酒酩酊や疲労等のため、同女と肉体関係を持つに至らず、最初に関係をしたのは同年三月二〇日ころであると記憶していたことから、その後わずか一週間位経っただけで妊娠の事実が判明するのはいかにも不自然であり、同女が自分以外の男性の子を懐胎したのではないかという疑念を抱いたものの、同女の方から積極的に「医者の説明によると、妊娠月数は妊娠のわかった時の直前の最終生理日から計算するために、私の場合は妊娠二ヶ月となる。」などと説明されたうえ、自分でもひそかに妊娠と出産に関する書籍を買い求めてこれを読んでみても、同女の説明との間に特段の矛盾は感じられなかったため、一応はその説明に納得するに至った。しかしながら、なお、心の底では、右疑念を払拭できず、それがわだかまりとなって残っていたが、E子を愛するあまり、同女との結婚生活が破綻するのを恐れて、同女に右疑念を直接問い質すことはできなかった。また、被告人は、同年六月ころ、同女が産婦人科に通うために中野区内の実家に帰って自宅を留守にしていた際、二日間連続して、若い男性の声で、自らは名乗ることなく同女の在宅の有無のみを尋ねる電話を受け、その翌日、同女の実家へ赴き、同女にその旨伝えるや、その場に居合わせた同女の実母が「F少年じゃない。」と言いかけてこれをE子から制止されるのを目のあたりにし、さらに、同日、一人で帰宅してE子の持ち物等を調べてみるや、「F少年」差出し人名のラブホテルへの誘いの手紙を発見したりしたため、同女にはかつて深く付き合っていた男性がおり、その男性がなおも同女に電話を掛けてきたに違いないなどと考えたが、右手紙の文面からはその男性が同女と交際していたのは自分との結婚前のことであるように思われたので、しばらくはこのまま同女の様子を見ようと思い、このことをも同女に問い質さないまま、同年一一月一日、同女が長女G子を出産するに至った。

被告人は、A、C子、E子の両親のいずれもがG子の誕生を喜ぶのを見たり、周囲の者から同児が自分によく似ているなどと言われたりするうち、前記の妊娠に関する疑念やわだかまりも忘れ、ますますE子を深く愛するとともに、G子を自分の子として可愛がって育てたが、昭和六〇年一〇月ころになって、E子の外出時の化粧の仕方や服装等から、同女が自宅外で他の男性と会って浮気をしているのではないかという疑惑を持ち始め、再び前記F少年と称する男性のことを思い出したりするようになり、幾度も、同女から聞いた外出先をひそかに自分でも回ってみて、同女が他の男性と密会する時間的余裕がないことを確認することにより心中の疑惑をおさえ、なおわだかまりを持ちながらも、同女に直接右疑惑を問い質すことなく、そのまま、同女及びG子に同様の愛情を注ぎつつ暮らしていた。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  昭和六一年一一月三日、前記甲野建築において請負中のアパート建築作業がその注文主との意見のくい違い等のためにその日の予定通り進行しなかったことから、不快な気分のまま、東京都杉並区下井草《番地省略》所在のA方(乙山ビル一階全て及び二階西側部分並びに別棟二階建)に帰宅した後、同日午後一〇時ころ、右乙山ビル二階西側部分の被告人らの寝室で就寝しようとした際、同所において、E子(当時二七歳)との間で、G子の教育のことから口論となり、やがてG子に対するA及びC子、並びにE子の両親の接し方にまで右口論が及び、同女に対し、「中野の両親がG子を甘やかしている。」「せめて中野の両親の半分でも、うちの父や母にG子と一緒に遊ばせてやってもいいじゃないか。」などと申し向けるや、E子が横を向いて口をきかなくなったため、いったん隣室に移り、しばらく時間を置いた後、同日午後一一時ころ、同女と仲直りをしようと考えて、右寝室に戻ったところ、同所において、いきなり同女から「Xちゃんは、いつもお父さんやお母さんのことばかりで私のことなんか何も考えていない。」と言われ、さらに「そんなことを言うなら、子供を置いて帰れ。」と言い返すや、同女から「この子は、あなたの血なんか入っていない。私の子なんだから、連れて実家へ帰る。」「わかっているでしょ。F君の子よ。」などと言われたため、G子が自分以外の男性の子ではないかというかつて抱いた疑念が真実であったものと思い込み、E子がこれまで自分を騙し続けていたものと考えて激昂、憎悪の念にかられたあまり、咄嗟に同女を殺害しようと決意し、ベッドに横になっていた同女に対し、その頭部を両手でつかんで壁面に約二回打ちつけたうえ、その頸部を両手で強く絞めつけ、その結果、同女が身動きしなくなったものの、さらに、とどめを刺そうと思い、同室内に置いてあったマイクロフォンコードを同女の頸部に巻いて絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し

第二  右判示第一の犯行においてE子の頸部を両手で強く絞めつけて同女が身動きしなくなった直後、同所において、同じベッド上に眠っているG子(当時二歳)を見るや、同児が実は自分の子ではなかったのに、これまで自分が騙されて同児を可愛がってきたとの思いから、同児に対しても憎しみの念が高じ、同児をも殺害しようと決意し、同児に対し、その頸部を右手で強く絞めつけ、その結果、同児が身動きしなくなったものの、さらに、とどめを刺そうと思い、前記マイクロフォンコードを同児の頸部に巻いて絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同児を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し

第三  右判示第一及び第二の犯行後、取り返しのつかない結果にどのように対処したらよいのか途方に暮れてあれこれ思い悩みながらも平静を装って一日を過ごしたが、警察に自首する決断をつけるためA(当時六九歳)に右犯行を打ち明けようと決心し、翌四日午後七時三〇分ころ、同人を前記の被告人らの寝室に呼び入れ妻子の死体を見せたうえ、同所において、Aに対し、「昨夜E子と口論の末、E子とG子を殺してしまった。何の親孝行もできずすみません。二人の遺体の供養をお願いします。これから警察に自首して来ます。」と申し述べて自己の行為を詫びたところ、期待に反し、Aからは自分を励ます言葉は全くかけられず、かえって「お前は、やっぱりあの女の子なんだなあ。お前など俺の子供でも何でもないから、孝行されんとも、何とも思わん。」と言われたうえ、乙山ビル一階の同人の寝室に呼びこまれ、同所において、母B子が他の男性と一緒に写っているかの如き古いスナップ写真とAが同女の素行等を自ら記録した書面とを見せられたうえ、「俺はお前が生まれた年の一月から三月まではあいつと関係がなかったから、お前は俺の子ではない。しかし、俺はお前の兄が傷つくことを恐れて、このことを黙っていた。お前の兄が死んでからは、会社を潰すと客に迷惑をかけるので、お前に会社のあとを継がせようとしてこれまで教育してきた。しかし、お前なんかもともと俺の子ではないから、どうなったって俺の知ったことではない。」などと言われたが、これを聞くうち、次第に、自分がAの実の子ではなく、同人からは愛されていないことを知らないまま、これまでひたすら同人に従順に従ってきた自分の人生を空しく感じるとともに、同人がこれまで父親であるかのように装って自分を騙し、自分の生活を縛りつけてきたものと思い込んで憤激、憎悪のあまり、咄嗟に同人を殺害しようと決意し、同人に対し、同室内に置いてあった刃体の長さ約一三センチメートルの果物ナイフでその左胸部を突き刺し、さらに、同人をその場に押し倒したうえ、同人の着用していた浴衣の腰紐をその頸部に巻いて強く絞めつけ、よって、そのころ、同所において、同人を絞頸ないし頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し

第四  右判示第三の犯行直後、Aとともに自分を育ててきたC子(当時六五歳)も、自分がAの子でないことを知りながら同人と一緒になって自分を騙してきたものと思い込み、同女に対しても憤激、憎悪の念が高じたあまり、同女をも殺害しようと決意し、前記A方別棟二階西側の板の間に赴き、同所において、同女に対し、その背後からいきなり前記腰紐をその頸部に巻いて強く絞めつけるなどし、よって、そのころ、同所において、同女を頸部圧迫による窒息により死亡させて殺害し

第五  右判示第四の犯行後、C子を長年連れ添ったAと一緒にしてやろうと思い、C子の死体を前記Aの寝室に運び込み、また、恐怖感から死体を一か所に集めようと思い、E子及びG子の死体も同寝室に運び込み、その後、同日から同月七日までの間、甲野建築の従業員らに対しては、Aらの姿が見えないことについて、その理由を取り繕いながら落ちつかない生活を送るうち、現に人の住居に使用せずかつ人の現在しないA所有にかかる前記同人方(鉄筋コンクリート造三階建・一部木造の乙山ビルの一階及び二階西側並びに木造二階建別棟、ただし、門及づその屋根によって連なっているもの、床面積合計約三一一・四一平方メートル)に放火して右四人の各死体を焼燬することにより前記各犯行の証跡を滅失させたうえ逃走しようと決意し、翌八日午前三時過ぎころ、右乙山ビル一階の同人の寝室及びその周辺の各部屋のほか、同ビル二階西側及び別棟一階にそれぞれあらかじめ準備した灯油等を撒布したうえ、右別棟一階東側八畳間において、灯油をしみこませたタオルにライターで点火し、これをその場に投げ出し、次いで、同じく、右寝室において、灯油をしみ込ませた肌着にライターで点火し、これをその場に投げ出し、もって、右A方に火を放ち、右各室内の柱、壁等に燃え移らせ、よって、右寝室部分等床面積合計約三六平方メートルを焼燬するとともに、右各死体を焼燬して損壊し

たものである。

(証拠の標目)《省略》

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、被告人の精神鑑定をした鑑定人逸見武光作成の鑑定書及び同人の証言を参考にしつつ、本件各犯行の動機・態様並びに、被告人の幼年期の性向、実母の性向、生育した家庭環境、本件前数か月間の行動及びその後現在に至るまでの態度等を総合して検討すると、被告人は、本件各犯行当時、単純型ないしは潜伏型の精神分裂病に罹患していたか、その前駆期にあり、その影響のため、心神喪失ないし心神耗弱の状態にあったことは明らかである旨主張するので、この点につき判断する。

確かに、本件各犯行に至る経緯及びその動機は判示のとおりであって、一応了解可能なものであるとはいえ、妻及び実父の言葉に対して異常に過敏に反応してきわめて重大な犯行に及んだものであること、被告人の生育歴等を見ると、平均的知能を有していながら学習意欲に欠け、進路の決定も投げやりであったり、また、学生時には若干の交友関係があったものの、積極的に友人を作ろうとしなくなったため、仕事関係以外には交友関係が一切なくなるなど、非常に内向的であり、また、周囲の者が奇異に感じるほど実父に対して従順であるなど、自己を外部へ表わすことが乏しく、内に引きこもりがちであったこと、被告人は、これほど重大かつ深刻な犯行を敢行したものであるにもかかわらず、各犯行後、その深刻さに対応するような行動や心理状態があまり窺われず、当公判廷においても、右各犯行を比較的平然と詳細に述べるなど、その供述態度から見ても、少なくとも外から見た限りでは、感情の起伏がきわめて小さいことなど、被告人に何らかの精神的障害があるのではないかと疑わしめる事情もいくつかないではない。

しかしながら、この点について、まず、逸見鑑定(鑑定書及び証言)によると同鑑定人は、本件が、被害者らの言葉に対してきわめて過敏な反応を示した犯行であるにもかかわらず、被告人には、このような犯行に及んだ者が通常表現するはずの感情が表われないことなどから、現実に対する過敏さと鈍感さが共存するという精神分裂病とほぼ同様の特徴を認めたため、精神分裂病罹患の疑いを抱きつつ、その点を中心に詳細に検討したが、被告人には、精神病的な異常体験もなく、脳波所見は正常で、器質的、機能的な脳障害もみられず、現実とのつながりが十分に保たれていることや、一般に精神分裂病の場合であれば見られるべき発病期における人格ないし精神状態の変りめが認められないことなどを主たる理由として、被告人は精神分裂病者ではないとの結論を出したうえ、さらに、その他の精神病も認められないし、また、知能障害やその他の思考障害も認められないとしている。

他方、本件関係各証拠によれば、本件犯行時を含むその前後いかなる時点においても、被告人に、精神病者に特有の異常体験があったとの証跡は一切ないこと、被告人は、捜査段階においても、当公判廷においても、本件犯行に至る経緯やその犯行状況について、何らの記憶の欠落もなく、詳細かつ具体的に供述し得ていること、被告人の司法警察員に対する昭和六一年三月二〇日付及び同月二二日付各供述調書、司法警察員作成の同年一一月一八日付、同月二六日付及び昭和六二年四月三〇日付各捜査報告書等関係各証拠によれば、被告人は、自分が設計等を担当したアパートの建築につき、注文主であるE子の叔父から注文どおりにできていないところがあると文句を言われ、工事の仕直しをするよう要求されるなどしたため、やけになり、昭和六一年三月、二度にわたり、右建築物に放火し、いずれもぼやで済んだものの、警察の追及から逃れるため、同年四月、自動車事故を起したのを機会に、一時記憶喪失を装ったり、さらに、甲野建築が請負った別のアパートの建築について、東京都からの融資を受ける手続がうまくいかなかったことから、Aに叱責されたり、その対応に苦慮した挙句、同年一一月一日、たまたま、公衆便所内で転倒して頭部を打ったのを機会に、記憶喪失を装い、その場を取り繕ったりしたことがあったものの、いずれも一般正常人としては若干奇異な点があるとはいえ、仕事等に行きづまった者の逃避的な行動として、その時々の具体的状況の下では、十分了解可能な範囲内の対応をしており、その点に特に精神の障害を推測させるほどに異常な側面は見当たらないこと、その他、被告人の従前の日常生活における言動をみても、とくにおかしいところはなく、家庭においても職場においても、平生、その周囲の現実に対応しながら、一般人としての通常の生活を営んでいたものであること、交友関係に乏しく、内に引きこもりがちであり、感情の起伏が非常に小さいなどの被告人の諸特徴は、被告人が小学校高学年のころから、徐々に表われてきていたものであり、その生来的な素質に加えて生育環境によって形成された被告人の人格そのものであって、何ら病的原因に基づくものではないと推測しうること、被告人自身に精神病の罹患歴がないのみならず、その家系にも精神分裂病に罹患した者は一人も見当たらないこと等が認められ、また、被告人の公判廷における言動を見ても、現実とのつながりが十分維持されており、人格の崩壊を推測させるような徴候は一切認められず、これらのことと先に述べた逸見鑑定の結果を合わせ考えると、被告人が、本件犯行当時、精神分裂病等の精神病に罹患していなかったこと、さらには、責任能力の減免の理由となるべきいかなる生物学的な要因も存在しなかったことは明らかである。なお、本件各犯行の動機についても、被告人の生育歴や家庭環境とそれを背景とするその性格等を考慮すれば、被告人の供述するように判示の如く激高、憎悪の念が中核をなしてこのような犯行をなすに至ったということは、正常人を前提としてもなお十分に了解可能であるところ、この点について逸見鑑定は、さらに被告人の人格面について深く分析し、被告人は、乳幼児期の家庭環境における愛情欲求の挫折を核とする分裂的人格障害者であり、本件各犯行は、被告人が、右人格障害のために、情緒レベルにおいて、密接な家族関係を有していた本件各被害者を自己とは全く別の他者として明確に区別できていなかったことから、被告人の長女が他の男性の子であるという被告人と妻子とのつながりを否定する妻の言葉や、被告人が実父の子でないという被告人と実父とのつながりを否定する実父の言葉を、それぞれ、自己の一部を否定されたものとして感得してしまい、否定された自己の一部を破壊して自己の同一性を維持しようという自己破壊的衝動行為、自己防衛的偏執行為に及んだものと解釈できるとの判断を示している。当裁判所としては、被告人の精神の内奥の深くまで立ち入ってその時の被告人の気持の動きがまさに右鑑定の指摘するとおりであったとまで認定することは差し控えるが、少なくとも、被告人の人格面に指摘されたような障害があり、そのために妻や実父の言葉に対してこのように過敏な反応を示すに至ったという説明の大筋については、おおむねこれを首肯することができる。しかしながら、このような人格障害の存在は、それだけで責任能力の減免の理由となるべき生物学的な要因となるものではないし、他に、被告人が、本件各犯行当時、責任無能力ないし限定責任能力の状態にあったということを疑わせるような事情も全く見当らない。

したがって、被告人が、本件各犯行当時、是非善悪を弁別し、これに従って行動する能力を有していたことは明らかであるので、弁護人の右主張は採用することができない。

(法令の適用)

被告人の判示第一ないし第四の各所為はいずれも刑法一九九条に、判示第五の所為中、非現住建造物を放火した点は同法一〇九条一項に、各死体を損壊した点はいずれも同法一九〇条にそれぞれ該当するところ、判示第五の非現住建造物の放火と各死体の損壊は一個の行為で五個の罪名に触れる場合であるから、同法五四条一項前段、一〇条により一罪として最も重い非現住建造物等放火罪の刑で処断することとし、判示第一及び第二の罪については各所定刑中有期懲役刑を、判示第三及び第四の罪については各所定刑中無期懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるところ、同法四六条二項本文、一〇条により犯情の重い判示第四の無期懲役刑にしたがって処断するので、他の刑は科さず、被告人を無期懲役刑に処し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により全部これを被告人に負担させることとする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、平隠な家庭生活をともにしてきた自己の妻子、実父とその内妻の四名を順次殺害し(判示第一ないし第四の各事実)、その後、自宅に放火して右四名の各死体を損壊した(判示第五の事実)という誠に残虐かつ無惨な事案であるところ、その各犯行態様は、判示のとおりきわめて執拗かつ凶悪無惨なものであるし、また、その動機には、後述のように、同情すべき余地がないではないものの、なお、それまで平隠な家庭生活をともにしてきた妻子やさらには長年にわたり何ら不自由なく愛育してくれた実父やその内妻を殺害しなければならないだけの事情があったものとは到底認められず、きわめて短絡的かつ自己中心的なものであり、とりわけ、全く落度のない実父の内妻や純真無垢の幼児に対してまで一時の憎悪の念にかられてその殺害に及んだ点は、強く非難されなければならない。

そして、四名にも及ぶ多数の尊い生命を奪ったという本件の結果の重大性はいうまでもなく、平隠無事に送っていた幸福な人生の途中で、こともあろうに家族の中心ともなるべき被告人の手にかかってあえなくその生命を奪われた被害者四名の無念さは察するに余りあるほか、本件各犯行により遺族の者に与えた精神的打撃はもちろん、社会に与えた影響も軽視しえないことなどをも合わせ考えると、被告人の刑責はきわめて重大であると言わざるをえない。

しかしながら、被告人がまずE子及びG子を殺害するに至った経緯は、判示認定のとおりであるところ、確かに客観的に見れば、G子が被告人の子でないとまでは認められないものの、他方で、被告人の記憶からすればその妊娠があまりにも早かったうえ、E子は、被告人との婚約中やG子を懐胎していた際に、被告人以外の男性と肉体関係を持っていたことや、被告人が社員旅行で家を留守にした折の本件犯行の約一週間前に、以前交際していた別の男性に対し、同人の気を引くが如き電話をかけたうえで、同人と会っていることなどに照らすと、婚約者としても、妻としても貞節を欠くところがあったことは否定できないところ、判示のとおり、被告人としても、E子との共同生活において、E子の貞節を疑わしめるようないくつかの出来事もあったりしたのであるから、被告人が判示のような疑念を抱くのも無理からぬところがあったものといえ、その独断と偏見に起因するものとは言い難いし、また、被告人が、右疑念を抱きながら積極的にそれを被害者に問い質すなどの手段を取らなかったのも、妻子を深く愛していたが故に、同女との婚姻生活が破綻し、妻子を失うことを恐れたからであって、このような被告人の気持ちは十分理解しうるところであり、これをもってあながち被告人の落度と言うことはできない。そして、右のような経緯があった後、夫婦喧嘩をした挙句の言動とは言え、同女自身から、いきなり、「この子は、あなたの血なんか入っていない。私の子なんだから、連れて実家へ帰る。」「わかっているでしょ。F君の子よ。」などと言われたところ、このFこそは、被告人がかねてより同女との情交関係を疑っていた男性に他ならず、これを聞いた被告人が、これまで何とかつなげてきた夫婦関係の信頼の基礎を根底から覆された気持となり、これまでその妻子を深く愛していたが故に、逆に騙されたとの無念の思いも深く、E子及びその一体としてのG子に対する激高、憎悪の念にかられ、同女らの殺害に及んだというものであることを考えると、この件に関しては、なお、被害者である妻にも責任の一端がなかったとはいえず、被告人に若干の同情の余地があると言うことができる。

次に、被告人がA及びC子を殺害するに至った経緯は、判示認定のとおりであるところ、もちろん、昔ながらのがんこな職人気質のAが、被告人に対して厳しい一面を有し、何事につけても自己の意向に従わせようとしていたとしても、それは、親としての愛情の表われでもあり、それ自体、けっして同人の落度であると言うことはできないが、そのような親であっただけに、なおさら、殺害される直前の同人の言動は、愛する妻子を殺してしまい途方に暮れてすがってきた被告人の深刻な告白に対する親の態度として、著しく配慮の欠けた冷酷なものであったと言わざるを得ない。したがって、既に絶望的な精神状態に陥っていた被告人が、Aのこのような言動にあって、これまで父親であるが故に従順に従ってきた自分の人生を空しく感じるとともに、同人及び同人と一体として見ていたC子に対する憤激がいっきに高じて両名を殺害するに及んだという点については、なお、同情の余地が全くないとは言い切れないものがある。

以上に見たように、本件四人の殺害行為は、それぞれ一抹の同情の余地がないではない経緯のもとに敢行された衝動的かつ偶発的な犯行であって、何らの計画性も認められないこと、その動機も、私利私欲がからんだり、おのれの不当な要求を実現しようとしたりしたものではなく、先に弁護人の主張に対する判断中に示したように、被告人の人格面における障害のせいもあって、妻や父の不用意な言葉に過敏に反応するあまり、憎悪と憤激の情にかられて衝動的に犯されたものであること、被告人はこれまで家族の一員としてはもちろん、一社会人としても、大過なくまじめな生活を送ってきたものであり、前科前歴も全く無いし、本件の特殊性に鑑みると、今後再犯のおそれもないと思われること、被告人は、判示第一及び第二の犯行後Aにそれを打ち明けたうえ、いったんは自首しようとしたものであるし、また、判示第五の犯行の後に逃走をはかっているものの、その際、警察あてに自己の犯行の全てを打ち明けるメモを残したうえ、自殺しようと考えたり、逮捕後、捜査段階から一貫して全面的にその犯行を自白し、当公判廷においても、犯行状況やその当時の心理状況などを正直に供述するとともに、被害者らに対する謝罪の気持ちを述べるなど、十分に反省悔悟の情を示しているうえ、自ら出捐したものとは言い難いものの、Aの遺産から、E子の両親に対しては、金五三〇〇万円を、C子の実子に対しては、金二〇〇〇万円を支払って、それぞれの者との間で示談が成立していること、遺族らの被害感情を見るに、それぞれが強い精神的打撃を受けながらも、E子の両親においては、「被告人の家庭環境や生育歴を考えると、被告人も被害者であり、現在では、被告人を宥恕しているので、寛大な判決を求める。」旨申し出ているほか、捜査段階では、「厳しく最高の刑で罰して欲しい。」旨供述していたC子の実子も、本年一月には、「現在の気持は、本件当初より感情的ではありませんが、早く忘れたいということと、法に従って厳正な処分をお願いしたいということです。」と述べており、その被害感情を緩和させつつあることが窺われるし、実母やAの兄をはじめとしてその親類も多数、被告人の寛大な判決を求めるとともに、被告人の更生に協力を惜しまない旨申し出ていること、さらに、本件犯行により、少なからず、精神的かつ経済的打撃を被ったと推測される被害者の経営する会社の従業員や下職等の関係者も、一様に、被告人の寛大な処分を求めていること等、酌むべき情がいくつかあることも事実である。

結局、以上の被告人に有利、不利な諸事情を全て合わせ考えると、被告人の刑責はまことに重大ではあるが、なお、犯罪の一般予防、特別予防、被害感情のいずれの見地からしても、いまだ極刑をもって臨まなければならぬ事案にまでは至っていないものと判断し、被告人を無期懲役刑に処するのが相当であると思料した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島田仁郎 裁判官 秋葉康弘 吉村典晃)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例